伊雑宮の歴史、伝統文化

 

伊雑宮は「いざわのみや」または「いぞうぐう」と呼ばれ、伊勢神宮(内宮)の別宮として由緒の古い神社です。

また、社名の伊雑はこの地域の昔の地名であり、平城宮跡出土木簡(718)に志摩国伊雑郷、志摩国輪傭帳(729)に伊雑神戸などと記されています。

 

・伊雑宮の名称や呼び名にはいろいろあり、正式には「伊雑宮(イゾウグウ)内宮引宮 皇大神宮別宮」

です。

・また、伊雑宮御師が用いた名称として「伊雑皇大神宮(イゾウコウタイジングウ)」

・倭姫伝説に由来して参拝の人々が用いている呼び名として「元伊勢さん」

・地名に由来して参拝の人々が用いている「磯部さん」

・そして「志摩の一ノ宮」などがあります。

 

伊雑宮の祭神は「天照巫皇大神(アマテラススメラギノオオミカミ)であり、古元の時代からこの地が伊雑宮の御鎮座地となっています。

 

このため、古くから伊勢神宮と同様に参拝者が多く、この伊雑宮が鎮座する伊雑宮周辺地区は、伊雑宮を中心に古くから栄え、近年まで志摩地域の中心地であった。

現在も、地区住民の奉仕により、国の重要無形民俗文化財である「磯部の御神田(いそべのおみた)」の伝統行事が継承されているなど、伝統文化の継承と地域住民の交流活動が続けられています。

江戸期の伊雑宮周辺地区は、伊勢参宮名所図会(発行:国書刊行会、初版:寛政9(1797)年:下の図)で、「伊雑宮(いざわのみや)」と説明があり、往時のまちの雰囲気やまち並みなどの様子がわかります。

なお、伊雑宮の年間行事は下表のとおりですが、これらに加えて志摩地域の人々との繋がりがある祭りとして、「御祭(ごさい、旧暦6月25日)」と「調献祭(ちょうけんさい、10月25日)」があります。

江戸の伊雑宮

 

『江戸名所図会』は、江戸の名所・旧跡についてさし絵を添えて紹介し解説した地誌であり、神田鮭子町の名主斎藤幸雄(長秋)が寛政年間に編集に着手し、その子幸孝(莞斎)と孫の幸成(月岑)の親子三代によって集大成され、天保五(1834)年に三巻一〇冊が刊行、天保七(1836)年に四巻一〇冊が完成し、全部で七巻二〇冊という大作であります。

長谷川雪旦によるさし絵が多数収められています。

一七〇〇年代以降には、『江戸名勝志』『江府名勝志』『武蔵名勝図会』など同種のものが数多く刊行されていますが、それらの中で内容・さし絵とも本書が最も高く評価されており、江戸風俗史の研究資料として重視されています。

この江戸名所図会の中では、伊雑大神宮の由緒とさし絵が左上のように示されています。

これによると、神社の創建は古く寛永元(一六二四)年に伊雑宮から分社しており、寛永十(一六三三)年に現在地に移されています。また、神社の名称は「伊雑大神宮」ですが、「いそべだいじんぐう」と呼び、町名の「磯辺横町」も神社名に由来すると出ています。

 

さし絵を見ますと、神明造りの立派な社殿と参拝者を中央にし、鳥居の前では獅子舞いと見物人たち、神社の左右には大きな商家と大勢の通行人など、にぎやかな町の様子が描かれています。

この場所は、現在の東京駅とは至近の位置にあり、昔は江戸城にも近く人通りの多い町の姿が、このさし絵に表現されています。

このような江戸の中心地に、伊雑宮の分社が創建されていたことは、伊雑宮の御師たちがここを拠点として、活発な活動を展開していたことを物語っているものであると思います。

 

「伊雑大神宮」の創建から四〇〇年近く経過した現在も、神社名は「天祖神社」と改称されていますが、多くの人々の厚い信仰をあつめて今も祭られています。(本誌13頁参照)

なお、現在は伊雑宮と天祖神社の祭神が異なっている点については、その理由として次のことをあげることができます。

伊雑宮は創建が古く、祭神についても諸説がある中で、特に江戸時代には『倭姫命世記』をよりどころとして「伊佐波登美命と玉柱屋姫命の二座」とする説が力説され、この時代に分社された神社ではこの二座を祭神とし現在まで祭られていますが、これに対して伊雑宮では伊勢神宮(内宮)の別宮であることから、明治以後は内宮と同様にあ てらしましますすめのおおみかみのみたま「天照坐皇大御神御魂」を祭神とすることに統一されて今日に至っているわけです。

 

ですから、この点は特に問題とすべきものではなく、むしろ、神社の歴史が長いことを証明するものであるという受けとめ方

ができます。

 

御田植祭

伊雑宮で毎年6月24日に行われる「御田植祭」は、日本三大御田植祭の1つに数えられ、重要無形民俗文化財(磯部の御神田)に指定されています。

古式ゆかしい装束に身を包んだ太鼓打ちや簓摺(ささらすり)らによる田楽が響きわたる中、白い着物に赤いたすきがけをした早乙女たちによって厳かに行われる御田植神事です(志摩市観光協会HPから引用)。

詳しくは→ 志摩市観光協会HP

おおみた(御田植祭)、踊り込み唄について

 

サアー エイエイシャントセ

サアー 岩がもの言うた おおむの岩が

サアー でれが言わせたヤマトヒメ

(続く)

 

おみたで唄われる踊り込みの唄の歌詞は、時代により変化する事はありますが、変わらぬものは、はやし言葉の発声「サアー」です。

日頃私たちは何気なく使っている発生(言)であり、例えば卓球の選手が自分を元気づける時、または思案の時に使って、自分を方向づけ行動を決定づけています。

その次に「エイエイシャントセ」は直訳すると「植えた苗を丈夫に育てて下さい」との祈りの言葉です。その意味は、私たちの生活に幸福を呼び寄せる言葉です。

次は、歌詞ですが、特に注目されるのは、その中にヤマトヒメ伝説や歴史的事象が信仰の思いとからまって、まつりのいきおいにあやかり木根が精一杯唄われている事です。

 

●御師の家

住所:三重県志摩市磯部町上之郷407

(伊雑宮の北隣)

電話:0599-55-0740

御師 森 和夫

 

不定休 

※個人のボランティアによって運営されておりますので、電話に出られないこともございますことを、ご理解いただけましたら幸いです。

●このサイトの管理人

森さんと私は、平成22年から志摩市伊雑宮周辺地区(まちづくり)構想を作成する時に、地元の方、コーディネーターという立場でお逢いしました。

そこで、意気投合し、森さんが自費で考えられた「御師の家」づくりにご協力し、それ以降アドバイザーとして、また一人のファンとしてお付き合いが続いています。

今、上之郷伊雑宮地区は伊勢志摩の一の宮伊雑宮を中心に悠久の歴史をもつまちとして史まちづくりを進めています。

これから、伊勢志摩においでになる時には、是非伊雑宮そして御師の家にお立ち寄り下さい。

御師を先祖にもつ森さんが「おもてなしの気持ち」をもってお待ちされています。

平成26年3月1日

(株)都市環境研究所三重事務所

五十子修

 

●(株)都市環境研究所ホームページ

●特に管理人注がついていない文章は、御師の森さんによる文章を掲載しています。